この日が訪れることを、ずっと願っていたはずだった。  この日が訪れることを、ずっとずっと待っていたはずだった。  ああ、なのに。  どうして、私は。 「――……」  それを喜ぶことさえ、出来ないのだろう? #世界樹の迷宮V - あるアンドロイドのおはなし  およそ百年の昔から、私たち機兵は一つの目的の下に造り出されてきた。 『人の世を脅かす、この世ならざる魔を討ち滅ぼせ』  人の恐れを喰らい、肥大化し、いずれ星をも喰らい尽くす化け物。  それを崇め奉り、手足となって蠢くフカビト。  それら人の手に余る者たちを、ただ殲滅するために私たちは造られた。  如何に優れた戦士であっても、心があるなら恐れは生まれる。  けれど私たちは心を持たぬからくり人形。  感情は無く、故に最善の結果を導出するためならば、壊れることさえ厭わない存在だ。  そして私たちは人知れず、人の身では朽ちるほどの時を、人の心では擦り切れるほどの時を、ただただ戦うことだけに費やした。  けれど私たちが戦う理由は、断じて人間のためなどではなかった。 『全ては我らが主、深王さまのために』  深王さまが願うからこそ、私たちはそうあったのだ。  もし深王さまが海都の人々を殲滅せよと言ったのであれば、私たちはそれを実行していただろう。  それを人は盲信、あるいは狂信と呼ぶかもしれない。  もっとも、そう造られている私たちにとって、これは至極当然のことなのだけれど。  幾年月を戦い続けた肉体は、損耗いよいよ根幹へと及び、長期的なメンテナンスを必要とする。  目的の遂行を第一義に掲げる私たちが破損を嫌い好機を逃す愚など犯すはずもない。  然るに無傷のまま戦いを終えられた例など数えるほどしかなく、多くの僚機が礎となり活路を開いた戦いも存在した。  が、戦力が有限である以上、徒に散るわけに行かぬのもまた事実。  故に必要に応じて与えられた休暇という名の調整期間は、しかし必要と分かっていても思考のループを強いられる退屈な時間だった。  だからというわけでもないが、私は思考の空転を避けるため、かつて深王さまが求めたものを探すために休暇をあてていた。  病弱な妹のためにと深王さまが求めた、白亜の供物を。  戦いの最中、私たちは私たちの敵が魔とフカビトだけではないことを知るようになる。  災厄と共に王を失い、国家としての機能を果たせなくなったアーモロード。  そこに住まう人々もまた、魔の力を増長させ得る厄介な因子であったのだ。  多くの民を守るため、深都に迫る寡少の民を死地へと導き、時には私が手を下した。  屍山血河の果てに得られた小康状態を、ともすれば無知な人間が崩しかねないのだ。  どのような対処をすべきかは明白であったし、それが過ちであったとは今でも考えてはいない。  人が魔の存在を知ること自体が禁忌であり、故に人が魔に敵うことなど有り得る筈が無かったのだから。  けれど、彼らは違った。  あるいは人が持つ力を、私たちは――機兵も、衛兵も、深王さまも、世界樹でさえ――知らなかっただけかも知れない。  だけど私は、彼らだけが特別だったのだと信じたい。  人には成し得ぬと信じられてきた魔の討滅。  それを成し遂げたのが、そのためだけに造られた機兵ではなく、魔の糧でしかないはずの人間であったのだから。  天極殿に立ち、私は一人、思考する。  彼らは良くやってくれた、と。  本当に、本当に、良くやってくれた、と。  人の心と記憶を失いかけていた深王さまを、かつての優しき王へと戻してくれたこと。  人の体を失い、魔の眷属と化した妹君を、あるべき人間の体へと戻してくれたこと。  戦いの果て、深王さまが忘れてしまった約束を、遂に成就してくれたこと。  どれほどの言葉を尽くそうとも、深王さまの忠臣として、この感謝は表し切れるものではないと判断した。  けれど彼らは、それ以上のことをやってのけた。  真祖を討ち、魔を滅ぼし、百年にも及ぶ戦いに終止符を打ったのだ。  何故、彼らの隣に私は居ないのか。  何故、その瞬間に私は立ち会えなかったのか。  解は導き出せず、しかし、戦いが終わったことだけは分かった。  同時にそれは、私たちが存在する理由もまた、終わりを迎えたことに他ならない。  世界樹はもう、何も言わない。  役目を終えて眠りに就いたのか、語るべき言葉を失ったのか。  私はもう、何も問わない。  役目は終えた。  成すべきことも、もう思いつかない。 「…魔の存在が消滅するのを確認した。あなたたちがそれを成し遂げたのだということも」  ――いや。  一つだけ、仕事が残っていた。 「深王さまも、あの姫も、きっとほめてくださるだろう」  それは、帰ってきた彼らを労うこと。  今、この場に居ない我らが王に代わり、感謝の言葉を述べること。  私がそうすることを、きっと深王さまも望んでいる――そんな気がしたから。  ……これを以って、全ての役目は終えられた。  戦いが終われば、過ぎた力は害悪にしかならない。  私たち機兵もまた、そういった類のものに違いあるまい。  活動を停止し、眠りに就く。  それこそが終わりとして最も正しい形であると、私は結論した。  なのに。  どうして、私は。 「お役目は全部終わったんでしょう? だったら一緒に、旅でもしない?」  彼らの提案を受け入れたいなどと、考えてしまっているのだろうか。  私は騎兵だ。  元より心など持ってない。  だから感情なんて、あるはずがない。  なのに、どうして。  深王さまを思うと、胸が苦しくなるのか。  役目を奪われたと、悔しさを感じてしまったのか。  彼らの隣を歩きたいなどと、夢を見てしまうのか。  私は、壊れているのだろうか?  それとも、そう造られていたのだろうか? 『私は、彼らと共に在ってもいいのでしょうか?』  世界樹は何も答えてはくれない。  だから私は、それが正しい判断であるかどうかも分からない。  いや、きっと正しくはない。 『私よりも強い彼らとならば、共に在ってもいいのでしょうか?』  ――主観に過ぎる。基準が曖昧なら目的も不明瞭。世界樹は答えないのでは無く、答えられないのだ。  思考の片隅で、そう喚き立てる何かが居る。  いや、それこそが本来あるべき思考なのだろうか?  だとすれば、今、本来的ではない答えを返そうとしている自分は?  ――機兵に、心など。  そう、あるはずがない。  ただ純粋に、そう思えた。  今はそれで十分だと、私は判断する。 「…一緒に行っても、いいのですか?」  遠く離れた異国の街を、仲間と共に徘徊する。  人目に晒されることは随分経験してきたし、人の情動に関しても理解が及ぶ程度には学習した。  一見無意味な『お買い物』という行動も、仲間との大切なコミュニケーションなのだ。 「ね、ね。この服とか、オランピアに似合いそうじゃない?」 「毎度のことではありますが、あなたはこのような少女趣味の服ばかり私に着せたがりますね?」 「うっ。い、いいじゃない! 似合いそうなんだから!」 「さて、どうでしょうか。着てみないことには」 「あ、これも似合いそう。あれもいいなー」 「ご自分でお召しになっては? 似合うかどうかは別ですが」 「ウグッ」  このようなやり取りも、最近では滑らかに行えるようになった。  心というものは、まだ良くわからない。 「…ふっ、ふふふ。うふふふふ」 「? どうしました。バグられましたか?」 「やっかましー! こうなったらとことんまで着せ替えてやる! 泣いたり笑ったり出来なくしてやる!」 「!!」  ……けれど、この人たちと共に歩んでゆけば、いつかはわかるようになるのかもしれない。  願わくば、その時は私にも、人の心が宿っていますように――