「早苗、本当にいいの?」  何度目になるか分からない、諏訪子様の問い。  心は既に決まっている。  だから私は、少しだけ不機嫌を装って強めに返す。 「もう、くどいですよ。ついていくって決めたんですから」 「あうー……」  まるで叱られた子供のようにしょげ返る諏訪子様。  そんなやり取りを見て、神奈子様がフォローに入って下さった。 「ははは、怒られたか。ま、早苗も邪険にしてやりなさんな。こいつもあんたが心配なだけなんだ」 「わかってますよ、もう」  諏訪子様の問いが親心に拠るものだということは、ちゃんと分かっているつもりだ。  それを承知の上で、神奈子様は私の意も汲んで下さった。  誰かに正しく理解して貰えて、見守って貰えるというのは、きっと幸いなこと。  ……大切なものは、失ってから気付くというのが定石だけれど、  失う前に気付けて本当に良かったと、私は思う。 「準備はいいね?」 「ん……。ねえ、やっぱり親御さんにはちゃんと挨拶した方が……」 「書置きで十分です」  バッサリ。 「くく、血は争えないねえ。ほら、諏訪子。始めるから、あんたも力を貸しな」 「うー……、わかった。こうなったらもう、行くしかないよね」  諏訪子様も、ようやく覚悟が固まったのだろう。  儀式は滞りなく進み、次第に、今が夢か現か不明瞭になっていく。  目前に迫った現世との別れに、多少の感傷を覚える。  でもそれは、私を引き止めるほどの力を持たない。  平穏な生活のためにこの二人を失うくらいなら、  他の全てを……例え産みの親を捨てたとしても、悔いなどない。  だから最後に一つ、言葉を紡いで。  意識と、少しだけの未練を、手放した。 『さよなら』  私の髪と瞳には、生まれつき特別な色が宿っている。  自然界にはありふれた、しかし人間にはありえない、緑の色。  だから、数えるのも面倒なほど、いろんな人に、いろんなことをを言われてきた。  記憶している中で最も古いものは、幼稚園に通っていたころのそれだ。 「へんないろー」 「なー、バッタみたいないろしてるよなー」 「ちがうもん! バッタじゃないもん、カエルだもん!」  幼少の頃、私はカエルがこの世で二番目に強い存在だと思い込んでいた。  私をあやすため、神奈子様と諏訪子様は何度と無く昔話を聞かせてくれた。  ヘビとカエルの大戦争……多分あれは、諏訪大戦のことだったのだろう。  ともあれ、その影響でそんな順位付けが成されていたわけだ。 「カエル、っておまえ……おんなのくせに、へんなやつー!」 「へんっていうなー!」  園児の頃ならば、追いかけっこに発展する程度の出来事。  それが小学生になると露骨に気味悪がられるようになり、奇異の目で見られている事を理解した。  中学生になる頃には、陰湿な嫌がらせまで横行するようになった。  しかし、所詮は子供の悪戯。  加減を知らない嫌がらせもあったけれど、それは私も同じだったわけで。 『触らぬ東風谷に祟りなし』  と噂される程度には過激な方法で解決に当たっていた、こともある。  ちょこっと反省。  そんなこともあって、昔、どうして私の髪は緑なのかと尋ねたことがある。 「知ったことか」  突き放すような冷たい答え。  それが両親の回答だった。  風祝としての能力を持って生まれたせいだろう。  二人は私を遠ざけようとしていた。 「そりゃああんた、私らの髪見てごらんなさいよ。青と黄、混ぜれば緑でしょ?」 「早苗は、私たちに愛されてるんだよ」  それが神様の回答。  親にさえ疎まれた私に愛を注いでくれたのは、この二人だった。 「すわ子さまとかな子さまが、わたしのお母さんなの?」  だから、おかしな話だけれど、神様が本当の両親なんじゃないかって思ったこともあった。 「うーん……私はあながち間違いじゃないんだけど。ご先祖様だし」 「あたしゃ従姉妹の姉ちゃんみたいなもんさ」 「や、お姉ちゃんは無理ありすぎでしょ。ねぇ、早苗?」 「あ、諏訪子てめ……! ……早苗、信じてるよ」 「え? え? えっと、えっと……」  思い返してみても、家族らしい団欒の記憶は、神様と過ごした時間だけ。  両親はロクに話さなくなっていたけれど、むしろそれは気楽な変化だった。 「やっ。さなちゃんおっはー」 「おはよー……」 「ありゃ、テンション低め? どしたの?」 「今日の体育、マラソンでしょ? めんどくってさー」 「あー……」  そんな私も、高校生になれば周囲に溶け込むということを覚え、実践するようになった。  髪は黒く染め、力も揮わず。  勉強はそこそこ真面目に頑張って、だけど美味しいお菓子に目が無い女の子。  そんな、どこにでもいる女生徒を演じる日々。  平凡足ろうとして、神様との付き合いにも壁を作った。  一種の反抗期、だったのだと思う。  人とは違う自分が嫌で嫌で仕方なくて、それを神様のせいにしていたんだと。  だから、風祝としての力が段々弱くなって、神様の姿もおぼろげにしか見えなくなった時、 「ああ、私はこのまま普通の人になっちゃうんだな」  なんて、ぼんやりと思った。  少しだけ胸が痛むけど、でもそれは私のせいじゃないんだと、言い聞かせていた。 「早苗。少し時間、いいか」 「なんですか? 八坂様。こんな夜遅くに」  ある夏の日の夜。  神奈子様が予習をする私のところまで来て、話があるから本堂に来てくれと頼まれた。  ずっと邪険にしてたから怒ってるのかな、なんて勝手に想像して、 「神様と違って暇じゃないんで、手短にお願いしますよ」  二人に向かって、突き放すようなことを言った。  その言葉が、二人をどれだけ傷つけたかも考えずに。 「耳が痛いねぇ。……ほら、諏訪子。あんたから話すんでしょ?」 「うー……」  言い過ぎたと思った時には、もう引っ込みがつかなくて。 「あのね、早苗。私たち、ここから出て行こうと思うの」  だから、諏訪子様がそんなことを言い出した時、私は冷静では居られなかった。 「は? なんですか、それ」  なんとなく、二人がそのうち見えなくなるんじゃないか、とは思っていた。  だけどそれは私が成長したからで、仕方のないことで。  本当に消えてなくなるわけじゃなくて、ずっと見守っててくれるんだって。  でもその時、諏訪子様が「出て行く」と言ったのを聞いて、本当に身勝手だけど、 「それってつまり、この神社を見捨てるってことですか?」  二人に向かって、責めるような言葉を放っていた。 「う……。神奈子ぉ〜……」 「あーもう、はいはい。全く、仕方ないねえ」  弱り果てた諏訪子様に代わって、神奈子様が説明してくれなければ、  何も分からないまま、二人を恨みながら生きていくことになってたかもしれない。 「私らが神社を、ましてや早苗たちを見捨てるわけじゃないよ」 「じゃあ、どういうことなんですか」 「どういうこと、って言ってもね。……ただ、この世界にはもう、私らの居場所がないだけでさ」  早苗、あんたも私らが消えかけてることに気付いてるだろう?  神様のくせに往生際が悪いって思われるかもしれないけどさ。  やっぱり私らだって、何もしないまま消えるってのは嫌なわけさ。  だから、私たちは幻想郷へ行く。  忘れ去られた存在が集うだけの、恐ろしく不便な場所に、ね――  神奈子様の話を聞いてからというもの、何をするにも上の空だった。 「じゃあ……勝手に行けばいいじゃないですか」  二人に向かってそんなことを言ってしまったせいで、  私が知らないうちに、本当にどこかへ消えてしまったらどうしようと不安だったから。  諏訪子様と神奈子様が居なくなった世界を想像して、怖くなったから。  何も手につかず、日が経つにつれ、眠ることにさえ恐れを抱くようになった。  それでもまだ踏ん切りがつかなくて、このまま私だけ置いてかれるのかな、なんて思い始めた。 「明日、ここを発つよ。じゃあね、早苗」  前日の夜、神奈子様がこっそりと教えてくれたのは、  勇気を持てない私への、神奈子様なりの励ましだったのだろう。  「さて、諏訪子。いよいよ出発のお時間なわけだけど」 「……わかってるよ」 「いいのかい? 早苗に挨拶してこなくってさ」 「いーの。寂しいけど、最近嫌われてるみたいだし……」 「そうかい? 私らも捨てたもんじゃないと思うんだけどねえ。どうよ? 早苗」 「えっ!?」 「……っ!」  その時、私が本堂の前で立ち往生していたことに、神奈子様は気付いていたのだろう。  あんなことを言った手前、入るに入れず、いっそ逃げ出そうかとすら思っていた。  けど、バレてしまった以上、大人しく顔を見せるしかない。  自分にさえ嘘を吐かないことには前に進めない。  そんな今の自分が、酷く嫌になった。 「早苗……? どうしてここに」 「……」  だけど口を開けば、また憎まれごとを言ってしまいそうで。  私は、こんな時にさえ素直になれないのか。  そんなだから、二人にも置き去りにされるんだ。  一人で勝手に潰れそうになった時、神奈子様が教えてくれた。 「ほら早苗、言いたいことは言わないと。じゃなきゃ、家族にだってわかんないよ」  ――嗚呼。  この人は、あんなことを口走ってしまった私を、まだ家族と認めてくれているんだ。  この人たちは、ずっと私の家族で居続けてくれるんだ。  こんな私を、真正面から受け止めてくれる人を、失いたくない。  飾り気のない、どこまでも剥き出しの優しい言葉に、私はようやく素直になれた。 「わ、私は……っ! ……、私も、連れて行ってください!」 「本当によく考えた? もう、帰って来れないかもしれないんだよ?」 「考えました。でも、考えるまでもないです」 「いや、でも、絶対不便だし、何が出るかわかんないし……」 「私がついていったら迷惑なんですか?」 「や、そうじゃない、っていうか、嬉しいけど、でも……」 「あぁもう、話が進まないったらありゃしない!」 「か、神奈子?」 「いいかい諏訪子、私らは私らのために幻想郷に行く、そう決めたんだ」 「う、うん」 「じゃあ早苗が早苗のために私らについて来るってのを、止められる道理があるかい?」 「あう……」 「はいはい、分かったらとっとと覚悟する!」 「うぅ、分かったよぅ」  そのあとも繰り返し聞かれたけど、答えを変えたりなんてしない。 「もう、くどいですよ。ついていくって決めたんですから」  私は、この人たちと共に在りたい。  だから私は、私の愛する神様と共に、幻想へ消えよう。  この世界に、別れの言葉だけを残して。 「なぁなぁ、早苗」 「はい? どうかしましたか?」 「なんでお前はさ、こんな辺鄙なとこに来たんだ? 向こうって色々便利なんだろ?」 「そりゃ便利ですよ。でも、うーん……そうですね、こんな例え話はどうでしょう」 「おっ、なんだなんだ?」 「宝物が詰まった大きなつづらと、小さなつづら。魔理沙さんなら、どっちを選びます?」 「そりゃあ大きい方だろ。大きいことはいいことだぜ」 「そういうことです」 「あー? 早苗の言うことはさっぱりだぜ……」 「あはは、難しい話じゃないんです。大事なものは、みんなここにあるってだけですから」