そこは埃と、金属臭と、機械の駆動音に満たされていた。 部屋を照らし出す灯りは裸電球とモニターの光のみ。 鳥の鳴き声に夜明けの到来を実感しつつ、彼は寝台へと倒れこむ。 「やっと……完成、か」 その声には疲労が色濃く滲み出ていた。 無理も無い。 彼は今日に至るまでの数日間、寝食を忘れ作業に没頭していたのだ。 「っと。先に充電済ませとかないと……時間、足りるかな」 しかしまだ、休むわけにはいかなかった。 ともすれば全てを投げ出しそうになる体に活を入れ、屋外に据え付けたダイナモへと向かった。 室内へ舞い戻った彼は一体の人形と向き合っていた。 等身大の女性を模したそれは、工房の中ではひどく浮いた存在だった。 すさまじいまでのメカ臭をほとばしらせるクレードルに収まっていなければ、 おそらく、唯のフィギュアにしか見えなかっただろう。 「おっ、これだったか。……うーむ、コードもそのうち整頓しないとなあ」 アダプターをタコ足コンセントに接続し続けること数回目。 ようやく、クレードルが充電中のランプを点灯させた。 同時に、壁の向こうからはガリガリという異音が鳴り響き、電球も弱弱しく点滅を開始する。 「ぎゃあ」 慌ててコンセントに取り付き、クレードルのアダプタを引き抜く。 「っぶなぁー……」 慎重に一本ずつコードの行き先を確かめつつ、アダプタを引き抜き、再度充電開始。 無事に充電が開始されたことに一息つき、PCから転送用アプリケーションを起動した。 彼が向かい合ったモニターには二つのウィンドウが開かれていた。 転送ツールの下、つい先ほどまで作業していたウィンドウでは正弦波と矩形波が山脈を形成している。 画面左側に音の高低を示す鍵盤が表示された、いわゆるピアノロール入力のシーケンサーソフトだ。 視覚的に最も分かりやすく思えたツールは、しかしそれでも彼にとっては恐るべきモンスターだった。 知識も技術もなく、ガイドブックはとうの昔に失われ、 故に、ただひたすら手探りで作業を進めるほかなかったからだ。 「後はデータ移して、起動して……歌わせるだけか」 呟き、溜め息を吐く。 果たしてこれまでの努力は報われるのだろうか? それは考えないようにしていた不安の種だった。 ハードウェアに問題はない。 ブラックボックスという不確定要素はあったが、損傷は見当たらなかった。 起動に相当量の蓄電を必要とするが、その後はある程度自家発電で賄えるため、 余程のことがない限りは主たる彼にしか活動を停止させることは出来ない。 経年劣化の可能性もあったが、これが最も安定した機体だった。これ以上はないだろう。 では一体何が彼を不安にさせるのか? それは彼自身が手がけた音楽データだった。 「うろおぼえだしなぁ……せめて楽譜だけでも残ってればなぁ……」 無いものねだりとは理解していたが、それでも愚痴らずにはいられなかった。 「……ま、なるようにしかならないか。やれるだけのことはやったよな、うん」 首肯をしつつ、ベッドへと向かった。 彼が目覚めた時、部屋の中にはもう一つ、動くものの姿があった。 それは月明かりの中、翠緑の瞳で彼を見つめ、平坦な声で告げる。 《おはようございます、マスター》 寝ぼけ眼の顔にぺこりと頭を下げ、 《過充電は好ましくありません。繊細な扱いを心がけてくださいませ》 おもむろに抗議を行った。 / 『限られたリソースは浪費するべきではない』 そんな訓示が掲げられたのは、ヒトという種の終焉が目前に迫る少し前のことだ。 いつか訪れる当然の終末を人々が甘受するはずもなく、 あらゆる無駄を省き合理化を図ることで未来を切り開こうとしたのは当然と言えた。 もっとも、そんな抵抗も人々が無駄を悟るまでのことだったが。 それから数年後。 散発的に起きた騒動はあらゆる場所にその爪跡を残したが、人々は平穏を取り戻していた。 『こんにちは。恐らく日曜、大体正午のラジオです。今週も悔いのないように過ごしましょう』 週一回、無名のDJが喋る。ただそれだけのラジオに耳を傾ける程度には。 『この番組は流浪の運ちゃんの提供でお送りします――』 娯楽と呼べるものは、その大半が失われていた。 木や紙の製品は燃料として消費され、金属は実用的な道具へと姿を変えていたからだ。 電子機器は比較的多数現存しているものの、発電施設が停止している以上、ガラクタと大差はない。 故に、人に残された娯楽は他者との交流くらいなものだった。 交流するにあたっての難点を挙げるとすれば、人々が各地に生活の基盤を築いてしまったことだろう。 そんな中、隔週で訪れる軽トラは作物のみならず、生き残った人々の心にも活気を与えていた。 「おーい、いるかーい、先生よーぃ」 その男は今、大きな拳で古びたドアを打ち鳴らし、主の登場を待っていた。 「んん……? っかしいなー。もしかしてひからびたか?」 窓から覗き込むと夕暮れ時だというのに室内に灯りはない。 そういえばそろそろ燃料が切れるころだったか? ふと思い出し、耳を澄ませてみるが、ダイナモの騒音は聞こえない。 作業に追い込みをかけて眠っているのか、それとも間に合わずにデータが飛んで不貞寝したか。 どちらにしても、起きてないことには変わりないかった。 「どうすっかなぁ……車で寝んの寒いんだよなぁ……」 強盗や泥棒といった悪漢は、その多くが駆逐されたものの、ゼロになったとは言い切れない。 いくら警戒したところでしすぎということはない。 が、だとしても、工房を要塞化するのは如何なものだろうか。 此処に来るたび、男は思うのだった。 「せっんっせーいやぁぁぁぁい、オッレでっすーよー」 突如、郵便受けがパカリと開き、 《オレオレ詐欺は間に合っております》 「うおお!?」 男を諌める声と視線が飛び出した。 《お静かに。そして早急にお引取りを》 緑色の瞳と、感情に乏しい声。 現世のものとは思えぬそれに腰が引けるのを感じつつ、男は答えた。 「いや……俺は先生に用があってだな、ラジオと食料品の交換に来たわけなんだが」 《……ああ、貴方様が。お話は伺っております》 郵便受けが閉じ、扉が開く。 《遠路はるばる、ようこそおいでくださいました》 「……おう」 《遠慮なさらず、どうぞ。私の提供するサービスは全て無料ですので――常識的範囲では》 「余計不安になるわ!」 だが、ここまで来てすごすご帰るわけにもいかない。 何より、この時期車で寝泊りするのは体に堪える。 慣れない相手に戸惑いながらも、男は工房の中へ招かれるのだった。 / 「済まんね。今日来るってこと、すっかり忘れてた」 「最後の詰め、気張ってたんだろ? 仕方ねえよ、気にすんな」 《どうぞ。粗茶です》 会話の切れ目を狙い、少女が茶を勧める。 「お、こりゃどうも……って、おい、このお茶、俺が持ってきたヤツだよな?」 「ああ、そうだろうね。葉っぱはもう切らしてたはずだし」 《これは、粗茶では?》 首をかしげ、尋ねる。 悪気はないのだろう。 男は頭を掻いて答えるしかなかった。 「……いやまあ、別にそれでもいいんだけどよ……なんか調子狂うな」 「はは、確かに」 《お体に変調を? それは大変です。お二方とも、なにとぞご自愛を》 噛み合わない会話は、しかし二人にとって微笑ましいものだった。 「そういや先生よ。あっちはどんなもんなんだい」 「あっち? ……ああ、歌か」 主の座るソファの後ろでトレイを持ったまま直立する女性型アンドロイド。 緑色の少女を指しての質問に、彼は答える。 「今のところは、30点」 《30点、頂きました》 「百点満点……だよな? 随分控えめじゃないか?」 「まあね。歌唱パラメーターは色々修正が利くみたいなんだけど、それ以外にも問題があるんだ」 「んー? ……ああ、そういえばそうか」 男は周囲を見渡し、楽器がないことに思い至る。 「これじゃアカペラしかできんな」 「いや、打ち込みデータが入ってる分は、音楽も鳴らせるよ」 「ん? じゃあ何がそんなに問題なんだ?」 「その演奏のデータがね、ちょっとミスった感じでさ」 「じゃあ実質アカペラじゃないか」 「うん、まあ……。実は歌の修正も、僕自身音痴でどうしようもなかったんだよね」 「……悲惨だな」 《それはマスターがですか? それとも私の境遇がですか?》 「聞くなよ、そういうのを。両方だけどよ」 《情報更新・身の上:不遇を追加しました》 突然のメッセージに、男は目を丸くする。 「あまり気にしなくていいよ。ただの順化プログラムらしいから」 「いや、変だろ、不遇とか……いや、不遇か?」 《未来が見えません》 少女は盆を顔の前にかざし、あーあーと呻きながら身をくねらせる。 「こうやって個性が形成されていくんだとか」 「問題作じゃねえか」 《私はいらない子だったのでしょうか》 「ネガティブ系に走るのだけは勘弁してくれ」 「ところで、歌とかは歌えるほうだったりする? なんか、演歌とか得意そうだけど」 《運ちゃんと浪曲、鉄板であると認識します》 「別に元からドライバーやってたわけじゃ……まあ、歌はそこそこ自信はあるけどな」 《是非、一曲》 少女はス、と懐中電灯を差し出す。 「……これは?」 《マイクの代用品です。どうぞ》 男の手へ強引に押し付け、自身はスピーカーの端子を口に咥える。 《ミュージック・スタート》 淀みのない言葉に続いて流れたのは、拙いピアノの旋律。 少し考えた後、男は少女の口から端子を引き抜いた。 / 「んじゃ、また来週」 「ああ、よろしく」 《またのご来訪、お待ちしております》 任せときな、と男は笑みを浮かべ、車を走らせ去っていった。 「楽器かぁ……見つかるといいな」 《……マスターは》 「ん?」 《マスターは何故、私を起動したのですか?》 「何故、か。やっぱり理由って、知っておきたいものなのかな?」 《私の存在意義はマスターの期待に沿うことですから》 「なるほど。うーん、そうだな」 空を見上げ、彼は考える。 話したいこと、話すべきことは、山ほどあった。 どういった順番で話を進めるべきだろうか、などと考えながら、 「とりあえず中に入ろうか。外は寒くて仕方ない」 彼は少女の手を取り、暖炉の恩恵を受けるため部屋へ引き返した。 「今、世界がどんな状況になってるかは話したよね?」 少女はこくりと頷く。 《資源の枯渇に伴う文明の衰退、及び人類滅亡。現在はその最終段階であると認識しています》 「そんなところだね。そうだ。お茶、お願いできるかな?」 《承知いたしました》 準備を始めるその背に向け、言葉は続く。 「実際には人類どころか、他の生物種も相当数、絶滅、あるいはその危機に瀕してるらしい。  とは言っても、十分な調査をするほどの余力もなかったからね。  環境の変動に適応できないだろう、って推測だけで指定された種もあるんだけど」 《質問です。よろしいでしょうか?》 「いいよ。どうぞ」 彼の前に湯飲みを置き、目を見つめて尋ねる。 《余力もないのに、なぜ調査した対象が?》 「食べられる……というか、食べることに抵抗感のない動植物がね、必要だったんだ」 その答えに少女は《嗚呼》と声を漏らす。 《食は文化、ですか》 「どちらかというとあれは本能の領域だったけどね。鬼気迫るものがあったよ」 納得したように頭を揺らしていた少女だが、はたと気付き、彼に詰め寄る。 《すみませんマスター。この話はどのように本題:存在意義へと繋がるのでしょうか?》 「……あ、しまった。済まない、脱線してた」 ははは、と彼は笑う。 対して少女は、信じられないものを見たとばかりに目を見開いていた。 《それでは単刀直入に、簡潔に、直線でお願いします》 「OKOK、まあそこに座って。顔すごい近いから」 《座りました。どうぞ、本題を》 「んーと、まあ、簡単に言っちゃうと、人類っていう存在の生き証人になって欲しいんだ」 《生き証人? それは生物でなくともよいのですか?》 「うん。歴史書とか記録媒体とか、もう利用できないし、キミが色々と都合が良かったんだ」 《ガーン、紙切れやプラスチックの代用品だったのですね、ショック》 がくり、とうな垂れる少女。 しかし彼はそれを否定する。 「そこで落ち込まない。キミに頼みたいことは、単純に記録に残すことじゃない。  そしてそれは紙切れにもディスクにも、そして僕ら人間にもできないことなんだ」 《と、言いますと?》 「キミはラジオを知ってるかい?」 《? 知識としては知っています》 話の連続性を見出せず、少女は首を傾げる。 《そのラジオを、私が?》 「そう。キミにラジオをやって欲しいんだ」 《…………》 沈黙。 少女はぴたりと固まり、動かなくなる。 「ん……? どうかした?」 《……ピーピー、ガガー、ザザッ》 「ええ……? 本当にどうかしたの?」 《ラジオですが、何か?》 彼は困惑する。 その間も、少女はノイズを発声し続けていた。 「よし、分かった。僕の言い方が悪かった」 《私はラジオにならなくて良いのですか。元よりなれませんが》 「いくらなんでも……いや、よし、もっとちゃんと、正確に言おう!」 適温になったお茶で口を湿し、一拍置き、それから彼は告げた。 「キミには、ラジオ放送をやってほしい。  人類が滅びても、誰も聞いていないとしても、それでも続けてほしい。  この星には人間という生き物が居たんだ、という証として」 《そうですか。でっかい墓標ですね》 「……まあね。だけど、一人ひとりに墓石建ててまわるよりは美しいと思うよ」 《それはそれで乙なものかと。では、何故歌を?》 「特別、深い意味はないよ。ラジオと相性が良いと思ったんだ」 《では何故、ラジオを?》 「うん、いい質問だ」 僕も詳しく知ってるワケじゃないんだけど―― そんな前置きしてから、彼は語り始めた。 「今ラジオをやってるDJさんが言うには、ラジオ電波は宇宙まで飛んでいけるんだって」 《はあ。宇宙ですか》 「ありゃ。宇宙とかロケットとか、あんまり興味なさげ?」 《ベースが家政婦ですから。もちろん万能ではありますが――どうぞ、続きを》 「ん。それで飛んでいった電波は、ずっと宇宙を漂ってるそうなんだ」 《それは……意味のあることなのですか?》 少し思案し、少女は尋ねる。 その返答は、あっさりとしたものだった。 「あるかもしれないし、ないかもしれない。  宇宙に飛び出した人たちが受信するかもしれないし、異星人が受信するかもしれない。  彼らはそれを理解できるかもしれないし、できないかもしれない」 《…………》 「でも、僕たちが求めてるものは、そういった意味の有る無しじゃないんだ。  いつまでも残るもの。それが重要なのであって……」 彼は頭を掻き、どこかバツが悪そうに言う。 「自分が死んだ後にも、僕という人間が居たことを誰かに知っていてもらいたい。  人類が滅んだ後にも、人類という種が居たことを誰かに知っていてもらいたい。  うん、なんていうか、寂しがりやのワガママかな。これは」 《……理解しました。確かにそれは、私でなければできないことでしょう》 首肯する彼へ、少女はさらに言葉を紡ぐ。 《そのためにもまず、歌唱および演奏に関する動作の最適化が必要かと思われます。が、》 そこまで続けたところで、少女は湿度の高い視線を主へと向けた。 《……どうか、お気を落とさず、自責の念に囚われないでください》 「それ遠まわしに責めてるよね!?」 彼の言葉を受けて尚、少女の眼差しは揺らがない。 たまらず、視線から逃れようとソファの後ろへと身を隠す。 《遠赤外視線もありますが、いかがいたしますか? マスター》 「やめろっ、暖かい眼差しもやめてくれっ!」 《体が芯から暖まりますよ》 「綺麗に焼きあがりましたってか!」 くるりくるりと首を回し、少女は主を追い立てる。 彼は背に付きまとうレーザーポインタから逃れるため、あらゆるものを盾にする。 そうして二人は、狭い部屋の中を仲良く走り回るのだった。