ざあ ざあ

 揺り起こしたのはホワイトノイズ。
 安堵を与える優しいノイズ。

ざあ ざあ

 頬に触れるは畳の感触。
 起きてなぞれば波形の触覚。

ざあ ざざあ

 テレビ消すのを忘れてた?
 振り向き見るが黒画面。
 ふいに寒気が体を震わせ、
 外をみやれば秋の雨。

「……ああ」

 一つ嘆息、頭をぽりぽり。

「ヨシズミ……あいつ、また外したか」

 ぼんやり眺める窓の外、
 洗濯物が濡れていた。



 なにゆえに洗濯物はずぶ濡れに?
 ぼんやり脳を回してみれば、思い当たること一つ有り。

『すみません紫様、唐突ですがしばしの休暇を頂きたく』

 確か三日ほど前に、藍が言ってた出掛けると。

『どうしたの?』
『実はかくかくしかじか』
『成程ね、それなら行ってきなさいな』

 何だったかはよく覚えてない。
 だがそれは、聞く気が無かったわけでなく、ひとえに酒を呑んでいた所為。
 けれど、まあ。
 私が言うのもなんだけど、あれは良く出来た狐であるし、然るべき理由があってのことだろう。

「稲荷がどうとか言ってたような」

 で、あれば。寿司か神社のどちらかだ。
 中毒はかなりの重度であるけれど、そのためだけに休暇を欲しがる阿呆ではなかったはず、だと思いたい。
 ジャンキー・藍。
 橙なら格好ついたのに。
 それはともかく、稲荷寿司、最近食わせてやってたか、思い返してみたけれど。
 ……昨日の夕餉も思い出せない。

『ボケが進むと深刻ですね』

 脳裏で狐がぼそりと零した。
 五月蝿いな、帰ってきたら一尾の刑。
 恨むんだったら自分を恨め。



「橙・ちぇ・橙〜。……どこかに出かけた後かしら?」

 腹を立て、ついでに餓えを覚えたところで、橙の世話をも思い出し。
 洋服は……乾けば問題はあるまいよ。
 止まぬ雨などこの世には無し。

 はて、しかし。
 お肉とお魚ぶら下げて、家中徘徊してみたけれど、一向に橙の姿は見つからず。
 あやつめまさか、出かけておるな?

「雨降って橙固まる」

 一般に猫科は水を忌むらしい。
 橙は式が取れるとあって、人一倍、いや猫一倍苦手らしい。
 裏を返せば藍への忠誠、でもそれが枷になってるようではねえ。

「さて、どうやって探したものか」

 式を飛ばして探そうにも、外は生憎雨天である。
 方々の目も、実は雨には少々弱い。翳してやる手が足りないからだ。
 しかしそうも言ってはおれぬが現状か。
 ユカリ・ザ・ピーピングアイのアーバンネームを返上する気もないし。

「……ふむ」

 隙間をひとつ手繰り寄せ、中をちらりと覗き見る。
 こんな寒い日でも霊夢の腋は丸見えだった、はしたない。
 しかしそれでも参拝客が訪れないのは……やはり需要の問題か。
 霊夢の言動が淡白すぎるのも問題かもしれない。
 腋出し巫女自体、他所に一人沸いたしなあ。

「縁の下に猫は無し、と」

 神社はハズレ。
 居るとも思ってなかったけれど。

「そしてこちらも縁は無し」
「ひゃん! な、何!?」

 神社をも一つ覗き込み、ついでに腋を撫で上げて、やることやったしとっとと退散。
 この程度でうろたえるとは、新米巫女はまだまだだ。
 霊夢なら、気配を察して捻じ込んでくる。針を。爪と肉の間に。
 思い出すだけで痛い痛い。

「さて、そうなるとあの場所しかないわね」

 思い巡らす幻想郷。
 黒猫の姿いざ捉えん。



「ああ、やっぱりここに居たのね」
「! ゆかりさまー!」

 マヨイガの屋敷に踏み込むと、ピンを耳を立てた橙ががばちょと飛びついてきた。
 辺りにゃ数多の猫、猫、猫。雁首揃えて雨宿り。いや、猫首か。

「あの、ごめんなさい紫さま」
「ん? どうしたの?」
「その、わたしがドジなせいで、紫さまに迷惑かけちゃって……」
「気に病むことはないのよ橙。あなたは私の式の式、可愛い孫も同然よ」

 喉をかりかり撫でさすり、ぽんと頭を叩いてみれば、晴れて広がる橙の笑み。
 ほんにお前は愛い奴だ。愛でてやろう、愛でてやろう。

「……? 紫さま、そのお荷物は?」
「え? ああ、これ?」

 喉をごろごろ鳴らした橙が、すんすん鼻を鳴らして問うた。
 目線の先にはビニール袋。
 茄子に茸に栗・甘藷。秋の味覚が勢揃い。

「みんなが色々くれたのよ。さあさ、帰ってご飯にしましょう」
「あ、はい!」

 よしよしなかなか良い返事。
 さあて、おうちに帰りましょう。



 外をぼんやり眺めてみれば、ぱかと隙間が生まれ出で、狐が姿を現した。

「紫様、ただいま戻りました」
「あら。お帰りなさい、藍」

 どうやら用事は済んだらしい。
 土産の包みは、はて何か。

「おかえりなさい藍さまー!」
「ただいま、橙。いい子にしてたか?」
「うん!」
「あっと、紫様。扇子、お返ししておきます」
「んー? ああ、はいはい」

 そういえば、移動に使えと渡したか。
 道理で扇子が無い訳だ。

「それとこれはお土産なのですが……ご飯は、済ませてしまったようですね」

 流しを覗いて振り返る。
 私が一つ頷いて、

「きっちり作って食べたわよ」

 橙もこくこく頷いた。

「一緒にごはん作ったの! おいしかった!」
「そうか。良く頑張ったな、橙」
「うん!」

 和やかムードの二人を置いて、さてと土産に手をかける。
 紐を解いて中身を見れば、あげで包んだ寿司寿司寿司。

「食べきれないからって、持たせてくれたんです」
「どちら様から?」
「お稲荷様です……って、去年もこのやり取りしましたよね?」
「あら、ほんと?」

 しゃなりしゃなりと小首を傾げ尋ねて見れば狐の溜息。

「ボケが進むと深刻ですね。……洗濯物も出したままになってますし」

 そこで私はピンと来た。
 ついでにちょっとムッとした。

「因果応報、天罰覿面。開けて悔しき玉手箱」
「あわぁー!?」

 ぼふん・もわもわ煙が出れば、たちまち藍の体を覆い、

「尻尾一本あれば良い」
「生きているからラッキー……じゃありませんよ!」

 晴れて出でるは小さき狐、橙より幼き八雲藍。
 ノリツッコミで叱られた。

「藍さま、かわいい……」
「え、本当か? 橙」

 けれども橙の呟きで、頬を緩ませ笑顔に変わる。

「親馬鹿も、ここまで来れば天晴れね」

 今度は私の呟きで、顔を引き締めキリリと言った。

「川柳なんぞ読まんでください。あとそれと、洗濯物を入れましょう?」
「ほっときゃいずれ乾くでしょうに」
「秋雨を甘く見てたらダメですよ」
「天気予報は晴れだったけど?」
「紫様、ここがどこだかお忘れで?」
「忘れるものか、幻想郷よ」
「では外で雨が降らぬということは?」
「そりゃあこちらにしわ寄せが来て……藍のばかーっ!」

 泣いて駆け出す吾一人。

「短歌、ですか……?」
「その通り。気付いた橙は賢い子だなあ」
「えへへへへ、くすぐったいよ、藍さまぁ」
「橙橙可愛い橙可愛いよ」

 あ、くそぅ。あっちでイチャつきはじめたぞ。
 せめて少しは構えよ畜生。



ざあ ざあ
ざあ ざあ
ざあ ざざあ

 夜天は晴れず、月さえ見えず。
 天の恵みか化生の業か。
 いずれにしても生乾き。明日着る服どうしよう。

「紫様、そろそろ夕食の時間かと存じ上げますが」
「稲荷寿司でも食べてなさいよ」
「それだけじゃ足りないですよ、流石に」

 遊び疲れて眠った橙の頭を撫でて藍が言う。
 仕置きにならぬようだから、尻尾の数は戻しておいた。

「足りぬなら 足らせてみしょう 八雲藍」
「人をホトトギスみたいに言わんで下さい。まあ、ご命令とあらば足らせてみせますが」

 首を傾げて頭を捻り、うーむうーむと藍うなる。

「何よ、言ってごらんなさいな」
「……これは私のわがままですが」

 しばし黙考、しかし開口。
 放つ言葉は――

「紫様の手料理を私も食べたくなりまして」
「甘えんぼう」

 背を押した。



「何が食べたい?」
「何でもいいです」
「それが一番困るんだけど」
「紫様の作ったものなら、私は何でも食べたいのです」
「馬鹿ね、あなたは。ほんとに馬鹿ね」
「いやいや主よ、私は狐」
「歩く姿は百合の花」
「え?」

 丁度色々材料あるし、今宵は豪華な夕餉にしましょう。
 栗は炊き込みご飯に使って。
 茄子は焼いて、醤油をつけて。
 香りマツタケ、味シメジ。茸も一緒に焼いてやれ。

「忙しい ああ忙しい 忙しい」
「小学生の俳句ですかい」
「全く一体誰のせいだと」

 雨は降り止む気配無し。
 されど心は日本晴れ。
 たまには良き哉、家族サービス。 inserted by FC2 system