「咲夜ぁー!」
 上階から、どったんばったんと騒がしい音が響いていた。
 声を荒げて家捜しするのは館の主、レミリア・スカーレット。
 そのくらいは見なくてもわかった。

「どこ行ったあー! 出て来いこらー!」
 図書館でこれなのだから、地上階の騒々しさたるや台風クラスだろう。
 その声は咲夜にも届いているのだろう。
 が、依然バッドレディがスクランブルな状態は続いている。
 平時であれば尻尾を振って馳せ参じるはずの咲夜が、何故?

「……というか、何やらかした」
 レミィもレミィで、壁をぶち抜きながら捜索しているのだろうか?
 轟音と共に、天井からパラパラと砂礫が落ちてきていた。
 このまま放置すれば館が崩壊しかねない。
 私は重い腰を上げ……ることはせずに、使い魔を呼びつけた。
「小悪魔。レミィをここに」
「はいはーい、仰せの通りにー」
 今ひとつ危機感に欠ける返事を残し、図書館から出て行く小悪魔。
 こういった局面で軽率な行動に出る人物は、大抵ひどい目に遭うものだが――

「こああーッ!?」
 響き渡った断末魔が法則を実証していた。
 これを回避出来るのはヒーローとヒロインか、あとは三枚目くらいなものだろう。
 どれも小悪魔には望むべくもない属性である。



「私に刺客を寄越すなんて、どういうつもりかしら。パチェ?」
「呼びなさい、って言っただけなんだけどねえ。まあ、お茶でも飲んで落ち着きなさいよ」
 乗り込んできたレミィを宥めるため、椅子を勧めた。
 彼女が掴んでいた謎の襤褸切れはメイド妖精に押し付ける。
 雑巾の素材くらいには使えるだろうか。
「……あぁ、すまないね。私としたことが、すっかり取り乱してたよ。全く……」
 少し冷静さを取り戻したのか、先ほどまでの暴れっぷりを恥じているらしい。
 帽子を押さえて目元を隠しているのがその証拠だ。
「はい、どうぞ。咲夜ほどじゃないけれど、それは我慢してね……って」
 迂闊なことを口走ってしまったと思ったが、意外にもレミィは落ち着いていた。 
「はぁ。……そうなんだよ。咲夜がナメた真似してくれてね」
 レミィは不純物の入ってない紅茶を一口。
 ほう、と息をつき、彼女は言った。
「信じられるかい? あいつ、私の紅茶に、勝手にミルクを入れやがったんだ」

「……ミルク? それで怒ってたの?」
 どんな無礼を働いたのかと思えば、呆れた話だ。
「私の記憶が間違ってなければ、レミィは砂糖もミルクも嫌いじゃなかったと思うんだけど」
「そりゃまあ、嫌いじゃないさ」
 言ってるそばから、薔薇を模した砂糖を入れている。
「でもそれは、私が私の意志で入れるからこそ意味がある」
 ダン、とテーブルを一打。
「従者ごときが手前勝手に行って良いものではない! とまあ、そういうことなんだけど」
「要するに、自分でやりたかったんだ? それ」
 紅茶に浅く浸かったレミィのティースプーン。
 崩れかけの薔薇と、透き通った琥珀色が同居するそれを、私は指差す。
「……そんなこと、ないわよ?」
「大きなお砂糖は一個まで、って言われてたし」
「だだだ、だから違うってば! パチェのばか! ばかもやし!」
「高温多湿でかもすわよ?」
「ごめんなさい」
 無血勝利。

「まあ砂糖云々はともかく、もっと許せないことがあってね」
「あら、まだあるの?」
「あの程度で怒るほど私は狭量じゃない。今日の紅茶は、とうとう血抜きだったんだ」
 おや、こんなところにも無血革命。
「そういえば前から血が少ないってぼやいてたわね。……それなら仕方ないか」
「そう。仕方ないのさ」
 ミルクを加えたそれを一息に飲み干し、レミィは立ち上がる。
「ご馳走様。少し落ち着いたよ、ありがとうパチェ」
「別にいいわよ」
 半分くらいは私のためだし。

「邪魔したわね」
 レミィは咲夜を探しに行った。
 紅茶に手抜き、ならぬ血抜きがあった以上、矛を収めるつもりはないらしい。
 紅い槍を担いでいたことからもそれは伺えた。
「にしても、咲夜には珍しい手落ちね……」
 パーフェクトなメイドを自負するだけあって、咲夜はかなり有能だ。
 紅魔館の快適さは、そのほとんどが彼女によるものなのだから。
 その咲夜が、こともあろうに主人に粗相をし、あまつさえ逃亡中の身とは。
「調べる必要がありそうね……。小悪魔ー、小悪魔ー?」
 呼べど叫べど返事はなし。
「そうだ、レミィにやられたんだった」
 少々面倒だが、残骸の回収に向かわねばなるまい。
 どれだけボロボロだったとしても、御霊と合体させれば元通りになるから楽でいい。



 襤褸切れだと思ったアレは小悪魔だったらしい。
 妖精メイドに何をされたのか、復活させた後もダウナー状態だった。
 蝋人形にされていたのが原因かもしれない。
「美鈴、ちょっといいかしら」
「あれ? パチュリー様じゃないですか。珍しいですね」
 ともあれ、木偶の坊と化した小悪魔に留守を任せて私は外に出ていた。
 咲夜は館内で鬼ごっこをしているかもしれないが、逃げるなら普通は館外。
「あなた、咲夜を見かけなかった?」
 もっとも、わざわざ正門から、しかも時を止めずにというのは考え辛い。
 もしそうだとしたら、美鈴は今頃血の海に沈んでいるはず。
 それでも尋ねるのは念のためだ。
「咲夜さんでしたら散歩に。それより中が騒がしかったですけど……」
「レミィが鬼ごっこして遊んでるのよ」
 そうか、咲夜は散歩中か……。
「って、美鈴、あなた今なんて言った?」
「え? 咲夜さんでしたら散歩に」
 なんということだ。咲夜はすっかり逃げていたらしい。
「何処へ行ったか、わかる?」
「人里の方に行くって言ってましたけど」

「……そう、人里ね」
 後ろからの声に振り向くと、そこにはレミィが立っていた。
 夜なので当然日傘は差してない。
「民家にでも逃げ込むつもりかね……ナメやがって。いいさ、目に物見せてくれる」
 あたりの空気がざわめく。久々にキレてしまったらしい。
 荒事に巻き込まれたくはないが、彼女の暴走を看過するわけにもいかなかった。
「レミィ」
「止めても行くからね、パチェ」
「止めないわよ、止めるべきその時までは。……私もついていくわ」
「好きにしな」
 翼を広げ飛び立つレミィ。
 美鈴は状況が理解できていないのだろう、オロオロとしていた。
「あのー、ひょっとして不味いこと言っちゃいました?」
 風精を呼び寄せながら私は答える。
「口止めをされなかったんでしょ? だったら咲夜のせいにすればいいのよ」



「見つけた」
 月を背に飛ぶこと数分。
 人里付近で最も人が近寄らない場所――雑木林に、咲夜の姿があった。
「それで隠れたつもりか? 吸血鬼を侮ったこと、後悔するがいい!」
 右手の槍(ずっと持ってた)を大きく振りかぶり、地上めがけ投擲する。
「っ!!」
 迫り来る風を斬って進むそれに気付いたのか。
 振り返った咲夜は目を見開き、大きく跳躍した。

 ――ズドン!

 真紅の槍が突き立つ。
 辺りの地面は捲り上がり、樹木は吹き飛ばされる。
 間一髪直撃を免れた咲夜は、その爆風を利用し林の外へ飛び出していた。
「逃すか!」
「待って、レミィ」
 続けて二投目を振りかぶるレミィを私は制止する。
「なんだよパチェ」
「先に話を通しておきましょう? 咲夜への仕置きを邪魔をされないためにも」
 音と衝撃のためだろう、幾つかの家々に明かりが灯っていた。
 その中の一つに里の守護者、上白沢慧音のものがあるのは間違いない。
「ちっ……仕方ない。頼めるか、パチェ」
「ええ、任せて」
 家の場所は知らないが、こちらへ飛翔する影が一つ認められた。
 それが上白沢に違いない。
 咲夜に迫るレミィを横目に、私は影へと向かうことにする。

「一体何のつもりだ? まさか人を襲いに来たのではあるまいな」
 第一声からして警戒心が剥き出しだった。
 当然と言えば当然なのだけれど。
「失礼。心配は要らないわ、うちの犬が近くに逃げ込んだだけだから」
「犬……? ああ、あのメイドのことか」
 視線の先ではレミィと咲夜が戦っていた。
 ……いや、戦いというのは正しくない。あれは狩りと称すべきものだろう。
「お前のところでは、脱走メイドはああやって捕らえるのか」
「今回はたまたま虫の居所が悪かっただけよ」
 夜空を紅く染める光と、たびたび沸き起こる轟音。
 眠りを妨げられ愚痴を零していた住人たちは、今では無言の傍観者と成り下がっていた。

 傍目からでも圧倒的な威力を持つレミィの攻撃を紙一重でかわし続ける咲夜。
 そんな二人の姿は、月明かりの下で踊っているようにも見える。
「……こんな言い方はおかしいのかもしれないが」
 隣から、上白沢の呟く声。
「綺麗なものなのだな、彼女らの戦いというものは」
 私は小さく頷いた。

 死と隣り合わせのワルツは、唐突に終わりを告げた。
 不意に動きの鈍った咲夜にレミィの一撃が直撃するという呆気ない決着。
 近くで騒ぎを起こしたことを詫びて、私たちは館へと引き上げることにした。



「さあ、どういうことか説明してもらおうか」
 椅子にふんぞり返って詰問するレミィ。
 その正面、直立させられた咲夜の両手には、水入りバケツの取っ手が握られていた。
 レミィ曰く、これが由緒正しいお仕置きスタイルなのだそうだ。
 逃げようと思えば容易に逃げられるはずなのだが、抗えない力でもあるのだろうか?
 そういった疑問も含め、私は本に書き留めることにした。
「……申し上げるのは非常に心苦しいのですが」
「知ったことか。さっさとゲロって楽になっちまいな」
 首を振り、ため息を吐く咲夜。
「わかりました。主の命とあれば」

「お嬢様、単刀直入に申し上げます」
「何さ」
「残念なことにお嬢様は、人間から全く恐れられておりませんでした」
「なっ……!!」
 驚きのあまり、立ち上がり絶句するレミィ。
 ひょっとして気付いてなかったのか?
「吸血鬼の私が、人に恐れられてない……?」
「ちなみに血液のストックは先日尽きました」
「なっ、それって、私に飲ませる血は無いってこと……!?」
 ふらふらと咲夜に歩み寄り、縋るようにブラウスを掴む。
 咲夜は鼻血を垂らしながらも、静かに、ゆっくりと頷く。
「ですがお嬢様、ご安心下さい」
 レミィの手をそっと取ると、咲夜は膝を折り、同じ目線で語りかけた。
「今回の騒ぎで、お嬢様は再び恐怖の対象となりましたから」
「もしかして……全部、私のために?」

 ……なるほど、そういうことか。
 咲夜にしては杜撰過ぎる仕事だと思っていたが、騒ぎを起こす事自体が目的だったわけだ。
 主の食事のために、主に頼み事をするのは美しくないと判断したのだろう。
 レミィ、ハムだし。
 それはともかくとして、レミィの主食は言うまでもなく『彼女を恐れる人間の血液』である。
 だが、近頃は幻想郷、更に言えば人間たちに馴染み過ぎていた。
 故にレミィに対する恐怖心は薄れ、ついには可愛いお嬢さんレベルにまで堕ちていたわけだ。
 そりゃそうだ。
 苺貰ったくらいで喜び浮かれて服を汚す始末では……
 そういった人間たちの認識を払拭するための、人里近くでの戦闘だったのだろう。

「これからはもう、血の心配しなくていいの?」
「ええ、大丈夫ですよ。美味しいお茶を期待して下さい」
「やったぁ! 咲夜、好き!」
 鼻血の垂れた唇にレミィがキスをすると、咲夜はぶっ倒れた。



 この事件により、しばらくは血に困らなくなったと咲夜は言っていた。
 しかし狭い幻想郷で生活する以上、これからも定期的に事件を起こす必要があるだろう。
 そのためにも、次からの事件はレミィが自発的に起こさなければならない。
 彼女がそのことを忘れぬよう、私は手引きを作っておくとしよう。
 全く、吸血鬼の友人は楽じゃない。





 おまけ

「咲夜ァ! あんた、どうして勝手に砂糖入れたの!」
「そうしないと紅茶が冷めてしまうからですわ」
「私の数少ない楽しみを……いや、それより!」
「ミルクの件ですか? それとも血液? どちらも同じですが」
「同じじゃ無い! ミルクもだけど、血抜きは許しがたいわ……!」
「聞いたことはありませんか? ミルクは血から出来てるんですよ」
「そんなので納得出来るか! っていうか牛じゃないのよ、それ」
「人のお乳なんて調達出来るはずありませんから」
「じゃあ咲夜から搾り出せばいい! なんなら今すぐ搾り出してやる!」
「えっ……。お嬢様が、私の胸を……?」
「うわっ、たっ、急に止まるなぁ!」
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